ボッチャを始めた理由





2013年9月、東京オリンピック、パラリンピック開催決定!

 

「おもてなし」の流行りもニュースでの一部の映像しか見たことはなく、始めは東京開催と聞いても自分には他人事でした。

しかしその後に何故だか不思議と、自分自身が出る方法はないか、いや…出たい、いや…東京パラリンピックに呼ばれている気がする、2020年に自分は出る!、そんな気持ちになり、どうしたら出れるかを考え出しました。




 

先ずは種目、自分のような重度な障害者が出来るスポーツと言ってもかなり限られる




・車椅子ツインバスケットボール→ 過去に1度だけ障害者交流センターに練習を見学に行ったことはあったが、現実的に自分の障害レベルとして軽い運動としてはできても選手として強くなることは難しいと感じた。また、そもそもツインバスケットボールはパラリンピックの正式種目ではない。

 

・車椅子ラクビー → バスケよりも障害レベルが軽くないと難しく、見学に行くこともなく断念。

 

・ボッチャ → 以前から競技名は聞いたことがあったが、正直、これまで自分がやってきた柔道とは全く異なる競技で、おまけに昔から球技のセンスだけは誰よりもなかったため、やろうとは思わなかった。

 




そんな状況から東京パラリンピックに出るのは無理か…とも思いながら、世間は2020年の東京開催に向けた話題がニュースなどで取り上げられていた中、2020年を迎えた自分自身を想像してみた。




自分は2020年に40歳…、今でさえ特別新たなことにチャレンジする気持ちもなく、加齢を心配し体力・気力の衰えを感じている中で、40歳になった自分の「老い」が更に不安に思え、




これからの人生、自分がどんな生き方をしたいか!?…を自問自答。







「35歳を過ぎて身体の変化と共に今後どんどん守りに入ってしまう人生」









「40歳に世界で戦えるようにチャレンジ精神たっぷりの攻めの人生」




どっちがワクワクした格好いい生き方か!?









もちろん後者!




そう答えが出てからは早く、ボッチャを競技者としてやるための情報収集をしていたところ、関東大会準優勝の親御さんから練習に1度来てみないか?と声をかけていただき、埼玉ボッチャクラブの練習に初めて参加させてもらい、ボッチャデビューとなりました!!







◎パラリンピックに向けて自分が望んていた競技や環境

・仕事をしながらでもできる競技

・練習量や練習内容がものをいう競技

・近場でも練習ができる環境

・やる以上は本気でトップを目指したいと思える競技

・趣味なスポーツではなく競技者として本気になれる環境

・着替えたり車イスを乗り換えたり、比較的にしないですむ競技

・介助者に左右されにくい競技







ボッチャをやる前こんなことを望んでいた中で、ボッチャ競技や埼玉ボッチャクラブは、自分自身が東京パラリンピックを目指す上でぴったりでした。




埼玉ボッチャクラブのBC3クラスは、歴代の日本チャンピオンが多数で日本のトップチーム、この環境で練習を続けていけば絶対に強くなれると確信し、同時に親御さんや周りの方たちが何もわからない自分に細かく様々なことを教えてくれることにとても有難く感じました。




そして、自分よりも重度な障害のあるチームメイトとの練習ではボコボコにやられ、相手にならないことへの悔しさを感じ、障害レベルに左右されにくい競技の奥深さにどんどんハマり、強くなりたい気持ちだけが大きくなっていきました。




障害を持って20年弱…、ずっと柔道と同じくらい熱くなれるモノを模索していましたが、ボッチャを通じて勝つ喜び、それ以上の負ける悔しさ、大会前の緊張感など、忘れかけてた感覚を味わうことができ、今は柔道以上にボッチャに熱くなりハマってしまっています。






高橋和樹

パラリンピック競技種目・ボッチャ BC3クラス

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